丸瀬布の駅裏側の山の中腹にある平和山公園は、道内随一の延長1キロメートルにわたる藤棚が続く藤園が有名です。

本日(H28/5/28)様子を見に行ったところ、もうすでに色づき始めており、間もなく見ごろを迎えそうです。藤の花の見ごろは短いので、お見逃しなく!
6月3日(金)、4日(土)の日没~20時30分にはライトアップもされるようです。
6月12日(日)には「まるせっぷ藤まつり」が開催され、テツandトモさんのステージも予定されています(この調子だと、イベントと花の見ごろとは残念ながら時期がずれてしまいそうです。)
藤園の歴史
この藤園の始まりは、平和山公園に隣接する弘政寺の住職が昭和20年ごろから育て始め、徐々に広がって現在の規模までとなったそうです。今では地域住民によるボランティアの藤棚整備が行われるなど地域のシンボルの一つとなっています。

水谷農場(マルキパン)と藤園
さらに歴史をさかのぼると、弘政寺や平和山公園も含む丸瀬布市街地一帯は「水谷農場」という農場でした(大正11年~)。この農場のオーナーは水谷政次郎といって、大阪のパン製造会社「マルキパン」の創業者でした。当時「東洋のパン王」と呼ばれた大物経済人であり、日本にパン食文化を広めた第一人者です。輸入ものの小麦でパンを作っていた水谷が、国産の小麦を生産し、自社のパンの原料にするために北海道で農場を求めたのでした。
水谷政次郎は昭和25年に小清水の農場で亡くなり、「マルキパン」は、その後衰退の途をたどってしまいますが、丸瀬布の街には「水谷町」「水谷橋」「マルキ通り」など「水谷・マルキ」の痕跡が今に伝わっています。大正13年に石北線の早期整備を求めるためカボチャ弁当を持って上京して全国的に有名になった「カボチャ陳情団」に陰ながら大金を提供したことも知られています。じつは、弘政寺も水谷が作らせたもので、平和山公園も四国出身の水谷が八十八か所巡りを作ったのが始まりです。
マルキパン、水谷政次郎について興味を持たれた方は、こちら(えんがる歴史物語)もぜひご覧ください。
平和山公園(Googleマップ)
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