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埋蔵文化財講演会「北海道の歴史と遠軽の遺跡」を開催しました

2月3日(金)、遠軽町福祉センターで札幌国際大学縄文世界遺産研究室室長 越田賢一郎氏をお迎えして埋蔵文化財講演会を開催しました。

講師の越田札幌国際大学縄文世界遺産研究室長

越田先生は、道教育委員会の元職員で土器の研究が専門分野の研究者です。在職時は遠軽町にも発掘などでよく来られていたそうで、「遺跡から見た北海道の歴史」と題して、身近な遠軽町の遺跡や歴史を絡めて北海道全体の歴史の流れや縄文文化をどう読み解くかというお話をしていただきました。
講演の前半は、北海道特有の歴史の流れがテーマとなりました。まず、遠軽町は平成17年に4町村が合併したことに触れ、じつは、大正8年に上湧別村から分村したときの状態と同じと指摘。町内にも多く残るアイヌ語地名については、「アイヌの呼び名を和人(本州から移住した人々)が自分たちの文字に当てはめて名付けたもの」で、アイヌ人と和人が協力したことでアイヌ語地名が現在に残っていると指摘し、これからもこうした協力する気持ちが必要だと述べられました。
遠軽町の遺跡については、221か所のうち120か所が旧石器時代のもので、突出して多くなっていることに注目し、これは黒曜石原産地である白滝地域の遺跡群の存在によるもので、他の多くの地域は縄文期の遺跡が多いとのことでした。
自身が発掘に関わっていた遠軽市街地の寒河江遺跡については、西暦800~900年ごろの擦文期の遺跡と紹介されました。また、同じ時期のオホーツク海沿岸には、モヨロ貝塚などを遺したオホーツク文化が同時に存在していました。土器の時代から鉄器と鉄鍋を使用するようになると、アイヌ文化期が訪れました。
後半は、白滝遺跡群が関連する旧石器時代のことから始まりました。この時代は、氷期のため海面が低く、北海道と大陸が地続きだったことで、マンモスなどが北海道に南下してきて、このような大型動物を狩るために大型の石器が使われました。やがて、気候の温暖化に伴う動物の小型化や落葉広葉樹林帯の北上などの要因で小型の石器や土器を使用するようになり、縄文文化に移り変わっていきました。青森県の三内丸山遺跡を代表とする縄文文化の芸術性の高さや、現在の和食の原点となった縄文鍋、争いのない共同生活など現代に通じる価値を発信するために世界遺産登録を目指していると語られました。

遠軽地域の高齢者大学「瞰望大学」の講座と兼ねて開催し、100名近い聴講者となりました
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